2007年12月22日 (土)

悲しいことにカフェ・サンライズがなくなってました

 このブログの名前「カフェ・サンライズ」はなにもジャズの題目から取ったのではなく、インドのプネーという町のJ.M.Roadの南の端にあるお気に入りのカフェの名前だった。
 毎年12月にプネーを訪ねているが、年ごとに町の開発のテンポがはやまり、どんどん建物は新しくなり、道には高架橋が架けられたりしている。今年このカフェを訪ねたら、周囲はがれきの山となっていて、新しいビルの建築ためカフェはなくなっていた。(あるいは店をどこかに移動させたか、再建後に再び開店するかもしれないが、そんなインフォメーションはない)
 ここインドでもカフェといえば、スターバックスばりの、甘ったるいバリエーションコーヒーの店ばかりが目立ち始め、いい音楽を楽しみながら、苦いコーヒーをすする気分ではなくなってきている。なんでつまらないものには大衆的な力があるのだろう。あるいは、大衆の関心を無知というべきだろうか。
 そんなわけで、ここプネーで変わらないものをもとめると、それはvegetarian thaliということになろうか。ターリーとは、丸いお盆のような金属製の器の中に、小さな器をいくつもおいて、サーバーが多種類の料理やチャパティ、パパット、それに米等を運んでくれるもの。大抵はunlimitedで、もう結構というまで給仕は続く。ホテルシュレーヤスのターリーが有名だが、日本人にはちょっと入り難い。
 また、簡単なセット料理としては、人気のある大衆店Loopaliで食べるthaliは美味しくて、たったの40Rs(約120円)。ただここのは、unlimitedな給仕はなく、込み合っているので、一通り食べ終わると、早く出ていって欲しがるから、あまり安楽ではない。
 そこで今回はちょっと小奇麗でしかもリーズナブルな料金の店に行ってみた。Mayurという店だが、本格的なthaliで150Rs(約450円)。インドのthaliとしては結構高いし、味もここでなくては、という個性がない。ただ安心して本格的なthaliが味わえる。
 写真は、最初の空の器。そして、給仕の雰囲気。セットの完成となっている。近頃はnon-vegetableのthaliもあるが、これはある意味邪道。野菜だけで、これだけのコクとバリエーションが楽しめるところにthaliの醍醐味がある。
Thali01

Thali02

Thali03

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年5月 1日 (日)

カフェ・サンライズ

cafesunrise ここ数年,毎年年末にインドのプネーを訪れている.この街は,インド人の辭を借りれば,「インドのオックスフォード」なんだそうだ.インドでも一流レベルのPune Universityを中心として,街には,CollegeやPolytechnical schoolが散らばっている.学生や研究者の数も多く,知的レベルは高い.Bandarkar Road,  Bapad Roadなど有名な学者の名を冠した街路 もたくさんある.
 知的なレベルが高いと,料理も美味しくなる.Ferguson College RoadのRoopaliのターリーやM. G. Roadの筋違いにあるGeorge Restaurantのタンドール料理は絶品である.
  ちかごろ成長著しいインドの中でも,silicon valleyを気取るこの街は,IT産業の勢いに乗って,特に変化が激しい.行く度にビルが修復され,店の構えや看板は新しくなっている.知的レベルの高さが手伝って,そのスタイルはお洒落なものである.
 昨年の12月に訪れた時,J. M. Roadの端,Cityの手前のバスターミナル付近に新しいカフェを見つけた.その名をCafé Sunriseという.何となく1950-60年代のモダンジャズ隆盛の時代のカフェを思わせるその作りは,懐かしくもあり,しかし今では新鮮でもあった.雑然として散漫でありながら,全体を見れば,なにがしの統一性を持っているように思える,不思議なプネーの町並み.意図があるのか無いのか分からない未分明な世界に,この時空の定まらない空間はよくフィットしている.単純な時間軸や空間論の成り立たないこの街で,このカフェの椅子に座って,苦くて甘いコーヒーを楽しむ時間は心地よいものだった.

 2005年12月26日.スマトラ島沖に発生した地震は,大津波を引起し,歴史上類を見ないほどの大被害を周辺地域にもたらした.インドでも,タミールナドゥやアーンドラプラデーシュあたりで,大きな被害が出て,多くの方が犠牲になった.
puja  この地震と津波のことを,わたしは,翌朝,新聞を読むまで知らなかった.その夜,わたしは友人と街に食事に出かけ,久しぶりにビールを飲んだ.Ferguson Collegeの向かいにあるAkash Plaza Sunson HotelのRestaurantで,美味しいnon-vegetarian 料理を食べて,良い気分になっていた.街もまた,どなたかの神様のプージャの日で,祠の周りに電飾が施されて,遅い時間まで参拝者がひっきりなく訪れ,プージャを終えて安心した家族は,やはり街のレストランで食事を楽しんでいた.
 プネーは,被害のあった海岸とは反対側の西部にあるし,街そのものも標高の高い所にある.揺れが来たわけでもなかったし,まさかインドにそうした災害があろうとは予想だにしていなかった.翌朝お会いしたPune UniversityのDepertment of SanskritのDr. Shailaja Bapat(専門はVedanta哲学)も,驚きを隠さなかった.彼女は,自分の生涯はおろか,歴史的にもこうした被害を知らない,という.決して無いわけではなく,2〜300年に一度位はこれに類する被害はあったようだが,これほどの被害は見当たらないようだ.TSUNAMIという言葉自体が日本語をそのまま流用しているほど,彼らの潜在印象の経験値は低い.
  Dr. Shailaja Bapatは「そういえば…..」といって,記憶をたどるようにうつむくと,「Mahabharataのどこかにこれに類する事件の記述がある.それは伝説的な物語に過ぎないと思っていた」と,いつものように小さな声でつぶやいた.ここではLegend(伝説)さえも時空を越えて,現実となるのである.

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年4月23日 (土)

クラクフ回顧

stmariacharch クラクフに行ってきた.(2005年3月末)ここはポーランド王国最盛期(14-16世紀)に首都であったところで,現在,ポーランド第二の都市である.ボヘミアのプラハやオーストリアのウィーンとともに,現存する街そのものが文化遺産となっている.
 主たる目的は,開放60年を期に,アウシュビッツ収容所を訪ねることであった.オシュフィエンチム,ビルケナウの二つの収容所跡を見てきたが,あまりの罪の大きさに,それを振り返ることすらできなくなっている.いずれ冷静になれた時に,回顧したいと思う.
 ここに掲載する写真は,クラクフの街の中心,中央市場広場の織物会館の回廊から聖マリア教会を見上げたものである.中世ヨーロッパの街には,たくさんの塔がそびえ立っている.警備監視のために多少の役割はあっただろうが,これほどの高さを与え,しかも威容を持たせる必然性がどこにあったのか,わたしには理解できなかった.
 夜のこの写真を見てもらえば少しは理解していただけるかと思うが,この造形は,美しいというより,奇怪である.塔は,人間の心に「安寧」や「満足」を与ているのではなく,「異質感」「猜疑心」といった,落着きの無い「畏怖」のような感情を引き出そうとしているように思える.人間に,人間以外の,しかも,人間の上位に明確に位置取る,解析不能のエネルギーの存在を知らしめようとしているようにも感じる.
 かつて,モンゴル兵の来襲を知らせるためのラッパを鳴らしていた警備兵が,弓矢で喉を射られた故事にならって,この塔のどこかで,毎時に演奏されるラッパのメロディが,途中でプッツリと途切れてしまう.これは果たして,哀惜の想いか,あるいは怨念か.
cafeinnight

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ムンバイの朝

bombaymorning インドのムンバイの郊外,ダーダルの朝の風景.(2004年12月撮影)
 どんなきっかけだったかは失念したが,インドに通うようになってすでに30年の歳月を経た.
 今もって「インドが好きだ」と断言する根拠を持たないままにいるが,わたしの旅の風は常にインドに向かって吹いている.インドが無かったら,わたしは,もう随分前に旅をしなくなっていただろう.インドに行く根拠はないが,インドはわたしの旅の根拠になっている.
 2004年12月19日.名古屋からシンガポールを経由して,深夜のムンバイに到着.翌朝のプネーへのタクシー移動のため,ムンバイ・プネータクシーの乗場近くに投宿した.朝食のために街に出てこの風景に出会った.界隈な都会の風景が,わずかな朝霧に覆われただけで,凛とした美しい姿態に変わる.埃と汗と噛たばこの匂いに満ちた雑踏の背後には,こんなに美しい景色が潜んでいる.そしてこの美しい風景は,30分後には儚く消えて,わたしは,夢幻を見ていたような錯覚に落ちる.やはりインドは分からない.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

旅行・地域 | 日記・コラム・つぶやき