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2008年2月22日 (金)

表現者と民衆―文化の形骸化―

 久しぶりにヨーロッパを訪れている。ロンドン、パリ、ローマを2泊づつ、一週間で味わい尽くそうという恐ろしい企画の参画者としてこの旅行に帯同している。
 冬のヨーロッパということで覚悟して、それなりの準備をしてきたのだが、今年に限っていえば、日本よりも暖かく、最初のロンドンとパリの1日目までは、天気も良かった。
 ローマはそうでもないが、ロンドンとパリは経済の良さが町の風情に如実に表れていて、豊かな落ち着きを示している。比較すればローマはそれには少し劣る様子で、道路の舗装状況、走っている車の種別や新しさ、それに町のゴミや落書きがそれを物語っている。
Dsc_1920  パリの二日目、我慢できる程度の雨が降ったのだが、それがかえって良かった。セーヌ川沿いに連なるルイ王朝からの遺産的建造物や、セーヌ川にかかる鉄の橋などは、雨によく似合う。中世的なアパルトメントの屋根の背後に、エッフェル塔がかすんで見えるのも情緒があって良い。
 以前から思っていたのだが、パリの町には鉄がよく似合う。セーヌ川に架かる橋、エッフェル塔、地上を走るメトロの高架橋など、19世紀~20世紀初頭に作られた鉄の建造物はエロティックで美しい。古いメトロ駅の入り口に時折見られるアールデコ調の鉄の飾り物はいただけないが、古い建造物の外側に設けられた鉄柵や入り口の鉄扉なども素晴らしい。
 時代のせいかもしれないが、現代ほど太い鉄が使われているわけではない。であるが故に、強度を生み出すため細い鉄が見事に幾何学的に組み合わされて、その合理的で分別のある模様が、鉄の時代背景と見事に調和しているように思う。また鉄は煉瓦やモルタルのように雨を吸い込まないから、雨模様の風景としても際だった力学的表現力を持っているように感じる。
 カルチェラタンにあるサルトルが通ったといわれているカフェ Les Deux Magotsで、道行く人を眺めながら、シャンパンとベルギー産のスモークサーモン、それにチーズの盛りつけを楽しんだ。目の前にサン・セヴラン教会が見えるこの界隈は、五月革命の時、ソルボンヌの学生がピケをはった地域だという。いまやそうした面影はなく、雨の中に輝く瀟洒な町として、パリ市民の愛する町並みの一つとなっている。
 ソルボンヌの学生にも、五月革命当寺の、あの強烈な学生の力の背景を理解するものはいないだろう。わたしたちの国でも、安保や三里塚の学生闘争を振り返ろうとする若者はいない。時代は変わったというより、忘れ去られたといった方が正確かもしれない。イデオロギーに貪著することを止めて、わたしたちの存在の根拠は、経済力、権力あるいは従属力であったりするようになった。
 そういえば、フランスではすでに1920年代にポピュラリスムなどという民衆文学があったようだ。存在は、その根拠を突き詰められていくと、そこからの逃避を試みようとするものだ。今では逃避の受け皿が大きく安全性が高いものだから、民衆はそこから再起することができなくなった。殊に、インテリにはその恩恵が大きいから、だれも民衆を啓蒙しようとはしなくなったが故に、今では彼らが再起するため出口はどこにも見いだすことができない。だれもが小金を稼いで、脱大衆的特権意識を持とうとしている。あるいはすでに持ち得たと妄想している。知識は、そうした意識の形成と妄想のために浪費されている。
 今回は団体旅行を成してやってきているので、結構な設備のホテルに泊まっている。フランスやイタリアでは、世界的遺産ともいいうる古い町の一角を改装してホテルが造られている。こうしたホテルでは近頃内装の模様替えがおこなわれて、いかにもデザインの国らしく、洒落た設備が整えられ、部屋に入った瞬間になるほどと得心させられるものだ。
 ところが、風呂に入ると、水をいっぱいに張っても肩まで湯にとっぷりと浸ることはできない。湯と水を調節する金具はおしゃれではあるが、人の神経を逆なでする妙な方向に動いて、使い手を苛立たせる。シャンプーやボディーソープの入れ物も、口紅風だったり、香水の小瓶風だったりして装飾性の高いものだが、たいていはうまく蓋が開かないし、シャンプーかボディーソープかを示す、肝心な部分の表示が消えかかっていたりしている。顔や手を洗うシンクは特にデザインに気を遣っている様子だが、ほとんどの場合、顔をあらうために必要な水が溜められない構造になっている。
 いったいデザインって何だ?何のためにあるのだ?フランスの鉄の文化の美しさは、その時代の鉄を都市に融和させるために、フランスのエスプリが機能した好例だったと思う。残念ながら現代のエスプリは、社会全体や民衆のためではなく、自己の顕示と満足のために働いている。芸術ならばそれでもいい。工業デザインや内装装飾はそれではまずいだろう。デザイン性という概念だけが、ほとんど目標のない時代の妄想的指標として孤立してしまったようだ。デザイン性が、モノ造りに何も要求せず、現場からのいかなる声も聞かないようでは文化は生まれない。形骸化した文化という腐った屍を生者に見立てているに過ぎない。
Dsc_2006  カルチェラタンからの帰路、セーヌ川沿をエッフェル塔まで歩いた。夜のエッフェル塔は、黄色いタングステン光でライトアップされ、繊細な鉄の編成と調和してひときわ美しくパリの闇に貫通している。しばらくエッフェル塔下のベンチに腰をおろして、歩き疲れた足を労りながら、その美しさに見惚れていた。
 夜9時、突然にエッフェル塔の鉄の背後に潜んでいた数百個のフラッシュがその光を点滅し始めた。驚くほどの密度と短い間隔で、目も痛むほどに青白い光が閃光を放つ。それはまるでエッフェル塔にとりついた宇宙からやってきた虫のように、その全容に貼り付いて浸食しているように思えた。しかもこの危険な時間は10分程も継続したのだ。
 1889年の万国博覧会のシンボルとして計画されたこの鉄の塔については、小説家モーパッサンをはじめとする47人の芸術家・知識人が連盟で建設反対の陳述書をパリ市役所に提出したといわれる。結果的に20世紀の産業の中核となる鉄の象徴として、時代を表す表現であったと回顧されるとしても、いまだ時代的価値の定まらない鉄の無骨な造形が、景観を破壊し、伝統を軽視するとの主張には、エリートとして文化に指導的に関わっていこうとする意欲と責任感が示されている。
 しかしこのエッフェイ塔の光の装飾については、それを批判する大きな潮流の存在を聞かない。パリのエリートたちは、いまや自分たちが所有している株価の動向や次の選挙のことしか念頭にないのだろうか。指導的役割を果たすべき責任主体が構造として失われてしまったから、デザイン性や文化意識といった妄想概念だけが暴走している。フランスのエスプリは(アメリカ的)グローバリズムに浸食され、その独特の力量を喪失してしまったように思える。国家としての経済規模は高まった。社会投資も十分行われるようになった。美術館や見本市会場、スタジアム等の設備は素晴らしい。しかし、パリノルド駅周辺に屯す怪しげな人間の数は減っていない。いずれにしても、醜いエッフェル塔の電飾がパリ文化の衰退を象徴している。過去の偉大さを現代に繋ぐ継承者が必要だ。

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