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2006年9月 6日 (水)

オックスフォードの地下室

Windows_3 現在,イギリスのオックスフォードに一週間ほど逗留している.到着した時には,どんよりと雨模様で,煉瓦の壁に黒い染みができて,陰鬱な寒さだった.何しろ日本を出た日に,最高気温は33度だったのに,ここでは20度を切る.到着して,二日目くらいにようやく晴れ間が出て,暖かくなった.
 オックスフォードにいると,ずっしりとした歴史の重みを感じる.それはとても威圧的な重厚さで,学問の深遠に撓まれそうになる.とてもすてきな中世の趣をもった町だが,イギリスの中世には不気味な暗さがある.この町でどれほど多くの若者たちが苦悩し,絶望していったことだろう.そうした内面の葛藤はやがて彼らの活力を引きだし,多くの社会的業績に成果したのだった.しかし,本質的に解決することのない神秘的な苦悩に気づいたものも少なくはなかっただろう.あるいは文学に,あるいは芸術に,そして哲学に身を捧げた多数の魂は,その生存の期間に十分な解決をみることは無く,厚い壁に囲まれた陰鬱な闇の中で,苦しみつづけたのではないだろうか.この古い構造物の壁には,そうした真摯な探究者の怨念が染みついているようにも思える.
 わたしたちは,このような古くて威厳のある構造物に懐古的な情緒を感じる.まして,オックスフォードのように,それが現実に機能して役割を果たしている場合はなおさらである.わたしが滞在しているWadham Collegeには,夏休みともなると年代別に同窓の士が集まって,毎夜パーティを催しす.もやは人生を終えようとする老人たちが,若かった時代を懐かしんで集い,母校の変わらない姿に安堵し,落書きやわずかな構造物の破損のような自己の存在痕跡を見つけては,感慨に浸っている.それは,かすかな呼吸によって繋がれている自らの肉体の儚さを実感しつつ,永遠とも思える時間を表出する母校の構造物に不変を見いだそうとしているようにすら思える.
 しかし,真実として何一つ不変な現実などありはしない.内在的にそのことを知っているから,むしろ人間は,不変という幻想に頼ろうとするのではないだろうか.傾いた床や崩れかかった窓枠をどうにか修復して,儚い命がこの構造物を歴々と継承してきたのは,それでもここに永遠不変が実現されているのだと証ししつづける所作だったのではないか.その背景には,不変への希求を刹那な肉体に内在する人間の本質的な矛盾がある.ここでは,力と技術によってその矛盾が覆隱されようとしているし,それは一定の成果をもたらしてこの町の現代を成しているのだ.
 しかし,そうした成果とは裏腹に,素朴で真摯な探究者の苦悩の残像や怨念のようなものが,そこここに残されている.それは人間の矛盾隠匿の力学と対立しながら,この場所では常に敗者であった.完遂されたかった詩的な魂は,権力や構造力学によって,地下室の暗くて厚い壁の中に押し込まれている.ボードリアン・ライブラリーの複雑な地下書庫室には,数多くの不気味な伝説が残されている.救われることのなかった孤独な真人の魂が,そんな所に宿っているような気がする.
 いまイギリスは高度な経済的復調の過程にある.来るたびに車は高級になり,道行く人の服装も良くなった.驚くべきことにその恩恵は,例の恐ろしく無味単調な料理にまで及び,レストランやパブの食べ物が十分味わうに値するものになっている.
Newterm_1 いまや彼らは,地下室の救われない魂の存在を顧みることはない.それはわたしたちが歩んだ道でもある.グローバルなスタンダードは,人間の能力の無限性を信じ,不変の真理を現世に実現することを求めている.本当に人間は神をも超えたのか.救われない孤独な魂の苦悩は,もう地下室に留まるしかないのだろうか.それではあまりに悲しい.真摯に悩み続け,いまも苦悩しつづけている存在の純粋さを振り返ることのなくなった社会,わたしは,そのこと自体に不安を感じざるを得ないのである.

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