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2005年7月18日 (月)

辺世から世界が観える

chitani  旧聞に属する話題だが,5月28日(2005年)に,知花昌一氏の歌と講演を聞いた.知花氏は,1987年10月,沖縄国体のソフトボール会場で,日の丸を焼却し,わずか3100円の器物損壊罪で,執行猶予付の懲役1年6ヶ月の刑を受けた人だ.今は民宿「何我舎」(ぬーがやー:沖縄県読谷村字波平174)を経営しつつ市会議員をされている.この企画は,三重県員弁市の真宗大谷派泉称寺の主催する「いなべ親鸞塾」によるもので,会場は泉称寺の本堂が当てられた.
 知花氏は,三線を持って登場し,同時に主催者からは,水ならぬビールが彼の目前に供された.日焼けした,沖縄育ちの,人の良い,中年男性風情の知花氏は,ビールを一飲みして,世相,恋愛,風景,戦争などを謳い込んだ島唄を,7曲ほど披露した.晴れた浅瀬の海岸を視ているような,穏やかで緩やかな時の流れ.それは,名古屋近郊の,無意味に忙しない時の流れとは,あきらかに異なった時間感覚だった.
 沖縄の空気感につつまれた会場で,知花氏は三線を置き,伏し目がちに,静かに沖縄の抱える問題を語り始めた.それは予想に反して,穏やかな口調で,彼は,決して過激な表現方法を採らなかった.しかし,一音一音の背後に,決然たる意識を伝える力のあることばだった.
 話は「沖縄戦から見えた日本の姿」というテーマから始まった.彼はまず,沖縄を日本の「辺境」と位置づける.「辺境」には,見せたくないもの,隠したいものが追いやられてくると前提し,しかし逆に,その弱点故に,その「辺境」から社会の本質が赤裸になると彼は主張するのだ.
 「辺」と「央」.この相対は,まさしく社会の歴史的な課題である.社会的構造を中心軸にすれば,「央」は「善」であり,「辺」は「悪」.「辺」を劣勢として「央」が優越する.しかし個個の人間という存在性に立脚するとき,わたしたちは存在の「辺境性」「辺地性」を,自らなる存在の中に見過ごしにすることはできず,そればかりか,時に,自己の内奥に潜む「辺」にこそ,存在の確かな本質を見いだすことが少なくない.
 なぜなら,わたしたちは存在として,この瞬間にしか自己を確認することのできない脆弱な存立意義しか持たないからである.この瞬間の前の時間,わたしたちはどれほど存在を明確に指示できるだろうか.慚愧の念によって忘れ去りたいもの,覚えていたくても忘れてしまったもののなんと多いことか.かつて通り過ぎてきた時間が,リアルな経験ではなく,まるで映像のようにしか顧みられないことは常である.もちろん前世のことは,詐欺師でもなければ堂々と説明できるはずもない.当然,まだ訪れていない,この瞬間の後の時間については,未知である.わたしたちの日常的能力には,これから後の時間を見通す神通力はない.
 ではわたしたちは通常どのようにして,自己確認をしているのか.わたしたちの人生の善悪を,また来るべき,先の人生の歩み方を,どのように判断しているのだろうか.こんなとき,わたしたちは,その時もっとも力ある社会的歴史的判断という方法論に依存している.これは自己の存在性の外側にある客観的な学的分別であって,すべての個たる自己の対象である.つまり,ただ対象として存在する客体的なもので,主体的な認識力を持たないものだ.しかし,それは,まるで認識主体のように,わたしたちの自我に働きかけ,命令し,善悪を教えるのである.わたしたちの自我が生み出した,無機質な法則.その存在は単なる幻影にすぎないのだが,実際には,その幻影こそが,「央」たる力学として,わたしたちの個我を支配している.わたしたちは,いつの間にか,わたしたち自身が生み出した幻影の僕となって,幻の法則(央)の「辺」として,自己存在が劣勢化してしまっているのだ.
 こうした仕組みは世の常だ.確かに社会は「構造」を持たねばならぬ.「構造」は常に「個」を圧服することによって力を持つ.必要悪としてそれは仕方のないことだ.しかし,「構造」は,常に作り替えられなくてはらない.通常,「央」たる幻の法則(構造)は優越して,「辺」たる個は劣勢に甘んじている.ただしそれは,「辺」が主体的な意味をもちながら,社会秩序のためにあえて幻の法則(構造)を優越させているのであり,いつでも「辺」が,優越する「央」を打ち崩す準備を整えていなくてはならないのだ.変化は「辺」からしか起こらない.真実は「辺」からしか求められることがない.なぜなら,「央」は,その性質上,自ら存立するものではなく,主体性を持たず,無知だからである.
 知花氏は,「沖縄戦から見えた日本の姿」というテーマから「辺境から日本がみえる」という真理を誘因し,それを「日の丸焼却から見えた日本の姿」「米軍基地問題から見えた日本の姿」と具体的に展開し,最後に「封建時代の遺物を払拭しよう」というテーマで講演を締めくくった.彼は,日本を「世界で最も表現できる国の一つでありながら,黙して語らない民衆=サイレントマジョリティの国」と考える.わたしは,「封建主義」を「個がその本質を喪失した構造」=「幻の法則たる「央」が主体化した亡霊の社会」と理解した.
 わたしたちは長期にわたる歴史的な努力と,その努力に相応しい成功を手に入れた.しかし,その過程の中で失ったのは,「辺境」である.「辺境」の克服は決して進歩ではない.なぜなら,わたしたちが服従している「央」こそが巨大な亡霊であって,それがわたしたちの主体の機能する場である「辺」を,むしろ意図的に隠蔽しているからである.「辺」がその本来の主体的な力を回復して「央」を必要に応じて変異させること.そうした事態の連続性こそが歴史であり,健全な社会を創出する方法論となろう.つまり,「辺」から世界を観る視点は,決して失われてはならないのである.

taketomi

武富島の風景

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