« 「詐欺フェスタぎふ2005」に行ってきた | トップページ | 撮影主義が帰ってくる »

2005年5月16日 (月)

綾戸智絵というカオス

PC260390  2005年5月14日(土).愛知県芸術劇場大ホールで行われた,綾戸智絵のConcert 2005に行ってきた.13,14,15の三日間,愛知県芸術劇場の一番大きな会場で行われたこのコンサートのチケットは,Sold Out.綾戸人気の大きさを物語っていた.
 コンサートは6時に開演.最初の二曲は,ジャズのコンサートらしく,質素でハイセンスな照明が施されたステージに,グランドピアノを置いただけのそっけない演出で,じっくり聴かせる仕組みだった.
 ところが,二曲を終えて,ピアノ椅子から綾戸が立ち上がるや,会場のムードは一変した.それはまるで漫談か軽妙なトークショーを聴いているようで,会場のわたしたちは腹を抱えて笑い転げることになった.その勢いは尋常なものではなく,息苦しくて痙攣しそうになった.
 しかし,話の内容は,決して浮薄なものではない.わたしは,時に,哲学者や宗教家の話を聴いているような錯覚に落ちた.さらに,話を終えて,一度,ピアノの前に座ると,彼女は見事なジャズピアニスト,ジャズシンガーに変身するのだった.
 ジャズという一件日本人の精神性からは遠い音楽,高度な演奏技術,渡米の経験,死につながる病の克服といった現実と,あの大阪のオバチャンのような話し口や精神性.この人の内と外はどうやってバランスをとっているのだろう.どこに綾戸のアイデンティティーを見ればいいのだろう.わたしたちが,ステレオタイプな視点で感じている,アメリカ帰りのジャズミュージシャンはそこにはいない.だが,そこに存在する,どうみても大阪のオバチャンでしかない女性は,まぎれもなく一流のジャズアーティストなのである.
 もともとジャズは,故国を失ってアメリカに連れてこられた奴隷たちが,解放の後に,苦しい生活の中で,自由な表現方法を求めて生み出した音楽だという.それは,貴族やインテリのスノビッシュな仕業ではないのだ.単身渡米し,結婚・出産・離婚,そして病気と,いくつもの山溪を通り抜けてきた大阪のオバチャンにこそ相応しい音楽であったに違いない.Concert 2005では,誰もが知っている有名な楽曲が演奏されたが,実際には,誰も経験したことのない音の響きが,ホールに漂っていた.ひょっとするとそれは,綾戸自身,初めて出遭った音であったかもしれない.
 コンサートの後半で,綾戸は家族のことを語った.大正生まれのお母さん,昭和生まれの綾戸,そして平成生まれの息子の三世代が暮らす家に,近ごろ共通の話題ができたという.世代の異なるばらばらの関係性に通底する共通のテーマによって,彼らは食卓に集う時間を楽しみにするようになった,と綾戸はうれしそうに話す.
 しばらく間があった.
 「その話題はね,葬式のことなんですよ」
オーディエンスはちょっと呆気にとられている.そこで,綾戸は例の軽妙な語り口で,80を越える母親がその一番身近な話題の対象であり,彼女の葬式の方法が主たるテーマになっていること.しかし,しばしば母親が,そうはいっても,一番最初に葬式を迎えるのは,綾戸や孫であるかもしれないと切り返してくるエピソードを披露した.そして最後に綾戸はこんなふうに締めくくった.
 「葬式の話ができるのは,みんな生きているからなんですね.死について考えると生きていることが分かってくる」
 彼女は,「死」が全てを根源的に解決するその瞬間まで,ただ一人の「わたし」として生き,歌い続けるのだろう.どこに停泊することもなく,立派な栖を創ることもなく,その存在はカオスであり続ける.カオスこそが自由を保障し,彼女がジャズミュージシャンであることを証ししているように想えた.
 だれにも教えてもらえない,経験則の働かないただ一度の人生を,安易に模造することなく,正体の定まらないただ一人の「わたし」として生きている小さな体の女性.綾戸の立ち姿は,本当に凛として,美しかった.

*コンサートの写真を撮ることはできません.また,綾戸さんの肖像を勝手に使うわけにはいかないので,今回の写真はインドのものです.どうしてこの話題にインドの写真かといえば,「カオス」繋がりです.ちょっと安易でしたでしょうか.
 この写真は,2005年12月にインドのPuneで撮りました.Pujaの夜に,街の中心にやってきた若い家族の風景です.

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/101826/4145533

この記事へのトラックバック一覧です: 綾戸智絵というカオス:

コメント

コメントを書く