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2005年5月 2日 (月)

「詐欺フェスタぎふ2005」に行ってきた

hanafesta01 黄金週間の混雑の中,よせばよいのに,岐阜県可児市で開催中の「花フェスタ岐阜2005」に行ってきた.この催しは,1990年から始まった「花の都ぎふ」運動の15周年を記念して,「花フェスタ記念公園」で104日間にわたって,開催されているものだ.(そもそも,1995年に「花フェスタ」が開催されており,その縁で「花フェスタ記念公園」と名乗っているのに,そこでまた「花フェスタ」が行われるというのは,構造的に矛盾している.しかもこの「花フェスタ」は,2004年にも開かれていて,近ごろ定例化してきている)
 さて,道路公団の改革が厳しく叫ばれる中,どこ吹く風で.近ごろ華々しく開通した東海環状自動車道(この道は,この周辺では「MAGロード」と呼ばれている.三重(M),愛知(A),岐阜(G)をやがては環状に結ぶ予定なので,MAGなんだそうだ)を使って,「可児・御嵩インター」を降りる.
 このあたりからいらいらが始まる.高速料金支払用ブースは三つ,その内,真ん中の一つはETC専用.このあたりではETCの普及率は低く,ここを通過する車はほとんど無い.まだ開園までには30分以上ある9時前だというのに,残った二つの料金所の前には,支払い待ちの車が長蛇の列をなしている.近ごろ,ETCを早く導入しろといわんばかりに,料金所のお金のやり取りがやたらと遅くなったように思う.一万円でおつりでも貰おうものなら,下手をすれば,カーステレオの音楽が1曲終わりそうになる.ETCの普及がおぼつかないのは,道路公団の志しの低さに起因する.だいたい,どこの世界に,支払者がレジ機器を購入するなんて法則が通用するんだろう.最近あまりの評判の悪さに,導入コストと,導入後の支払い値引きを始めたが,そもそも,あんなに大袈裟な三菱製の機械を,膨大な金をかけて全国にばらまく必要があったのだろうか.シンガポールやニューヨークではもっとスマートにやっているのに.
 ようやく料金所を通過して,会場に向かうと,途中で道を遮られ「センゾー駐車場」という砂利でできた,いかにも仮設の駐車場に誘導された.わたしは誘導者に「会場の駐車場には入れないのか」と尋ねたが,初老の警備服を着た男は,「満車だ」と明確に答えた.実際には,そこからシャトルバスで会場に着くと,まだ記念公園の駐車場には十分空席があり,駐車場に入るのに,特に混雑している様子もなかった.早い話がだまされたわけだ.hanafesta02
 さて,バスを降りたらすぐにしなくてはならないことがある.今回この公園に,混雑が予想される時期にやってきた最大の理由は,会場内の「プリンセスホール雅」で午前午後に二回おこなわれるNHKのわくわくさんの「つくってあそぼうショー」を子供たちが見たいというからだ.開園前に到着しようと試みたのは,800人収容のこのホールへの入場整理券を獲得するためだった.バスを降りて案内マイクの聞こえる方に走ったが,どうやら寸でのところで入場整理券は無くなったらしい.これではここに来た意味がない.そもそも駐車場の誘導員にだまされなければ,もっと早く会場に来れただろうし,その前の料金所がもう少しテキパキと仕事をこなしてくれていたら,状況が変わってきたかもしれない.
 わたしはばかばかしくなって,会場に入ることを止めて帰ることを家族に提案した(ちなみに前売券を買って来ている)が,子供はどうしても見たいという.しかし彼らには,整理券がすでに無いことを理解させなくてはならない.(実際には,会場には結構な数の空席があった.それでもわたしたちは会場に入れてもらえなかった.どうも整理券の配付方法自体,不可解だ.)そんなわけで議論をしていると,ボランティア係員が,「そこに立ち止まらないで先に行って」と無情な言い口.わたしたちは特に通行を妨げていたわけではないし,その場所はそもそも入場前に切符を買ったり,人と待ち合わせをする所である.ここのスタッフは,やって来た人たちがどんな状況を抱え,何に困っているかをフレキシブルに理解するホスピタリティにかける.数だけはやたらと多い係員は,迷子案内と立ち入り禁止区域への立ち入りの制止,それに,道案内,といった,マニュアルにある仕事を,強引にマニュアル通りに行うことしか念頭にない.
  仕方なく,子供には会場の外からショーの様子を眺めることを納得させ,せめて花を楽しもうと中に入った.するとどうしたことだ.「花フェスタ」なのに花が無いのだ.この公園の売り物は薔薇園なのだが,薔薇は5月下旬(ちなみにこのフェスタは,3月1日に始まっていて,6月12日には終わる)にならないと咲かないのだという.薔薇園には驚くほど薔薇がない.時期が来れば,薔薇が,イギリス庭園風に飾られるだろうことを思わせる鉄製のアーチや,階段や廊下まわりの木の柵は,見事に剥き出しになっていて,茎さえ見当たらないありさまなのだ.来場者は,後2週間すれば,ここに美しい薔薇の花が持ち込まれ,みごとな彩りの薔薇園ができ上がることを空想して楽しむしか手は無い.それでも,わたしよりは遥かに心優しい彼らは,「これだけの広さの所に薔薇が咲き乱れたらさぞ美しいでしょうね.もう少し後に来なくてはいけなかったわね」などと,しかるべき時節に来なかった自分たちを戒めるのだ.
 いま咲いているものといえば,通路脇に街路花として咲かせてあるレンゲやパンジー程度のもの.たまにきれいな花壇があったりすると,それは協賛している農業高校や地元の銀行や企業の労作であって,花フェスタ主催者の努力によるものではない.(水撒き以外,この会場で草木の手入れをしている人を見かけないのが不思議だ)hanafesta03
 この会場で力が入っているのは,地元特産の食品の販売.飛騨牛のコロッケや高山ラーメン,イワナの塩焼きなどを売る店が軒をつらね,それでも昼食時には,キャパを越えて入れ込み過ぎた観客が長蛇の列をなすありさまだ.花より団子を地でいくこの行事,「花の都ぎふ」はいったいどこへ行ったんだ.これなら,無料で入れる「木曽三川公園」(岐阜県海津市)の花畑の方がよほど素晴らしい.木曾三川公園の「チューリップ祭」の時には,スタッフは本当に努力して,期間中びっしりとチューリップを咲かせ,維持している.
 「花フェスタぎふ2005」のHPには,「「花」に関する取り組みが盛んな岐阜県のさまざまな魅力が詰まっています」と説明されているが,「「花」に関する取り組み」はすっかり忘れられ,「岐阜県のさまざまな魅力」が拡大解釈されて,種々のイベント事に執心しているように思えた.
 近ごろ,なんでも「イベント化」してしまう傾向がある.催しものは,観客の入れ込み数でしかその成否を判断しないし,来客も,「イベント化」に慣れきってしまい,「主旨」や「目的」よりも「イベント」の魅力にしか反応しなくなっている.わたしは大学に職を得ているが,学生の主催する学園祭もいまやイベント化の傾向が著しい.実行委員会は,プロモーターの持ち込んでくる,学園祭向けのコンサート企画を買い取るだけで,自分たちの大学の学園祭の「意図」を議論したり,その内容を企画に反映させたりすることが少なくなった.心のこもらない空疎な企画だけが独り歩きして,評価は,観客数という数量によって判断される.人間は,みずから「意図」を持ち,「企画」し,「実践」するものであることをすっかり忘れてしまったようだ.
 いずれにしても,「花」をテーマにしながら,「花」のない「花フェスタぎふ2005」は「詐欺フェスタぎふ2005」と呼ばざるを得ない.テーマに相応しい表現方法や,観客へのホスピタリティを,もっと率直に正直に探求すべきではないだろうか.

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コメント

ちゃんと、読んでます。
私もやめようかと思いつつ、読者に最近書かないのか?
と、言われ書き続けております。

投稿 大西アパート2F | 2005年5月12日 (木) 11時50分

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