牡丹
いつのまにか牡丹の季節になっていた.この牡丹という花,原産は中国で,彼の国では「花王」と称するらしい.
この花は当初薬用だったようだが,唐代以降観賞用となり,日本に伝わった.観賞用としてみれば,「花王」というのは,まことに絶妙な呼称である.大柄なのに,優美で繊細,しっとりとした潤いを持って,静かに佇んでいる.
父が好んでこの花を庭にいけたために,庭にはさまざまな色の牡丹が咲いている.写真は,父の自慢の牡丹で,かなり古い株である.きつ過ぎず,さりとて,薄過ぎることもない,不思議な薄紅色をしている.「こんな牡丹は日本にいくつもない」というのが父の常の口上だが,そういって確かめてみたらたいしたものではなかった壺や掛け軸が家には結構ある.専門家に見立ててもらわないで,個人で楽しむのが良.
問題は,花の季節が短いことだ.一年の半分は青い葉,さらに半分は,ほとんど枯れ木状態.本当に楽しめる時間は,年間2週間程度のものである.花は大きいわりに,花弁が繊細で,少しの老化で,形が崩れ始める.花の季節の後半は,むしろ見窄らしさを感じる.
美しさというのは,瞬間の存在であって,頂点は時間を持たない.刻々と変化する流れのなかで,目に見えぬ一瞬を待って慶びを獲る.しかし,次の瞬間に,わたしたちは無常なる存在が残す喪失感に嘖まれる.慶びは,かつて存在したように思える微かな感傷に過ぎず,実在は常に,悔恨と悲嘆の対象でしかない.美の探求は,敢えない願いであるが,空虚な希望という絶望の中で,それでもわたしたちは,その一瞬を待ちわびている.
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