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2005年4月26日 (火)

牡丹

P4251658 いつのまにか牡丹の季節になっていた.この牡丹という花,原産は中国で,彼の国では「花王」と称するらしい.
 この花は当初薬用だったようだが,唐代以降観賞用となり,日本に伝わった.観賞用としてみれば,「花王」というのは,まことに絶妙な呼称である.大柄なのに,優美で繊細,しっとりとした潤いを持って,静かに佇んでいる.
 父が好んでこの花を庭にいけたために,庭にはさまざまな色の牡丹が咲いている.写真は,父の自慢の牡丹で,かなり古い株である.きつ過ぎず,さりとて,薄過ぎることもない,不思議な薄紅色をしている.「こんな牡丹は日本にいくつもない」というのが父の常の口上だが,そういって確かめてみたらたいしたものではなかった壺や掛け軸が家には結構ある.専門家に見立ててもらわないで,個人で楽しむのが良.
 問題は,花の季節が短いことだ.一年の半分は青い葉,さらに半分は,ほとんど枯れ木状態.本当に楽しめる時間は,年間2週間程度のものである.花は大きいわりに,花弁が繊細で,少しの老化で,形が崩れ始める.花の季節の後半は,むしろ見窄らしさを感じる.
 美しさというのは,瞬間の存在であって,頂点は時間を持たない.刻々と変化する流れのなかで,目に見えぬ一瞬を待って慶びを獲る.しかし,次の瞬間に,わたしたちは無常なる存在が残す喪失感に嘖まれる.慶びは,かつて存在したように思える微かな感傷に過ぎず,実在は常に,悔恨と悲嘆の対象でしかない.美の探求は,敢えない願いであるが,空虚な希望という絶望の中で,それでもわたしたちは,その一瞬を待ちわびている.

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2005年4月25日 (月)

悲しい日曜日

carpark 日曜日.子供たちは妻といっしょに実家に帰っているが,わたしは寺の仕事があって休む時間はなかった.仕事の帰り,パチンコ屋の前を通りかかって,異様な光景を見た.SUVやWagon車が列をなして駐車場に止められているのだ.家族でパチンコというのは,あまり一般的なシチュエーションではない.おそらく,お父さん方が,一人であの大きな空間をもてあますように,ここにやって来たのだろう.
 通勤時間に感じるのは,こうした前方視界を遮るような車の多さだ.大抵はあくびをしながら一人で運転しておられる.はっきり言って,道路を占有する面積は無駄そのもので,こうした車が全部小型車や軽に置き換わったなら,渋滞も少しは解消されるのではないだろうか.
 必要な時に適切に使われる限りはこうした車を否定しないが,はたしてSUVや大型Wagon車が,本来の目的で使われている時間は,その車の生涯時間の何パーセントあるのだろう.「家族像」や「友人像」といった幻想によって選択された車.描いた幸福な時間が実現できないで,ただ一人日曜日にパチンコ屋に来るためにこうした車に乗らなくてはならない現実を,オーナーはどのように受け止めているのだろう.

 八年前,長女が生まれる前に書いた「反家族主義」というエッセイがある.すこし尖った文章だが,久しぶりに読み返して懐かしかった.興味がある人は,ダウンロードして読んでみてください.

「anti-familyism.pdf」をダウンロード

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2005年4月23日 (土)

クラクフ回顧

stmariacharch クラクフに行ってきた.(2005年3月末)ここはポーランド王国最盛期(14-16世紀)に首都であったところで,現在,ポーランド第二の都市である.ボヘミアのプラハやオーストリアのウィーンとともに,現存する街そのものが文化遺産となっている.
 主たる目的は,開放60年を期に,アウシュビッツ収容所を訪ねることであった.オシュフィエンチム,ビルケナウの二つの収容所跡を見てきたが,あまりの罪の大きさに,それを振り返ることすらできなくなっている.いずれ冷静になれた時に,回顧したいと思う.
 ここに掲載する写真は,クラクフの街の中心,中央市場広場の織物会館の回廊から聖マリア教会を見上げたものである.中世ヨーロッパの街には,たくさんの塔がそびえ立っている.警備監視のために多少の役割はあっただろうが,これほどの高さを与え,しかも威容を持たせる必然性がどこにあったのか,わたしには理解できなかった.
 夜のこの写真を見てもらえば少しは理解していただけるかと思うが,この造形は,美しいというより,奇怪である.塔は,人間の心に「安寧」や「満足」を与ているのではなく,「異質感」「猜疑心」といった,落着きの無い「畏怖」のような感情を引き出そうとしているように思える.人間に,人間以外の,しかも,人間の上位に明確に位置取る,解析不能のエネルギーの存在を知らしめようとしているようにも感じる.
 かつて,モンゴル兵の来襲を知らせるためのラッパを鳴らしていた警備兵が,弓矢で喉を射られた故事にならって,この塔のどこかで,毎時に演奏されるラッパのメロディが,途中でプッツリと途切れてしまう.これは果たして,哀惜の想いか,あるいは怨念か.
cafeinnight

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ムンバイの朝

bombaymorning インドのムンバイの郊外,ダーダルの朝の風景.(2004年12月撮影)
 どんなきっかけだったかは失念したが,インドに通うようになってすでに30年の歳月を経た.
 今もって「インドが好きだ」と断言する根拠を持たないままにいるが,わたしの旅の風は常にインドに向かって吹いている.インドが無かったら,わたしは,もう随分前に旅をしなくなっていただろう.インドに行く根拠はないが,インドはわたしの旅の根拠になっている.
 2004年12月19日.名古屋からシンガポールを経由して,深夜のムンバイに到着.翌朝のプネーへのタクシー移動のため,ムンバイ・プネータクシーの乗場近くに投宿した.朝食のために街に出てこの風景に出会った.界隈な都会の風景が,わずかな朝霧に覆われただけで,凛とした美しい姿態に変わる.埃と汗と噛たばこの匂いに満ちた雑踏の背後には,こんなに美しい景色が潜んでいる.そしてこの美しい風景は,30分後には儚く消えて,わたしは,夢幻を見ていたような錯覚に落ちる.やはりインドは分からない.

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